初恋のお話 [回想]
しばらく前に同じ部署で働いていた人たちと飲んだ時に”恋話”で盛り上がったので、自分の
初恋なんぞを思い出してみた。
あまりに昔のことで出来事のかなりの部分を忘れてしまい・・・もちろん相手の名前や顔は覚
えているけど大昔の話・・・。思い出せるかな!?
そういえばこんな話は親しい人にもほとんどしたことが無いような・・・。
昭和5×年埼玉の片田舎でのんきに小学生をしていた僕。
カールルイスがロサンゼルスオリンピックで金メダルを取る前くらいのことだ。
たぶん小学校5年生くらいの頃で初恋の相手の名前は”ゆきちゃん”。
なんとなく女子が女子らしくなってきて意識してしまう頃で、学校でも初めて性教育が行われ
ていた。
後になって初恋であったことはわかったけど、最初そのモヤモヤが何かわからなくて悩んで
しまい困ってしまう。なぜならそんな感情を経験したことが無かったのだ。
勉強熱心!?だった僕はここでもその本領を発揮してしまう。
その感情を突き止めようと本を読んだりして、遂には本屋で講談社新書だったかの「性を考
える」という本を買い、店員のおばちゃんが「ずいぶんと難しい本を読むのねぇ・・・」と絶句
してしまった。周りには相談する男の友達もいなかったし。
で、その子はというと同じクラスだったのだが明るくて活発なかわいい子。
哀しいかな小学生ということもあって、好きなのに素直になれずちょっかいを出したり、いじめ
たりしてしまう。”ゆきちゃん”はよく三つ編みにしていたのだがそれを引っ張ってしまったり。
でもそのうちに周りにバレてしまい、からかわれてまた真剣に悩んでしまった。
本人には気持ちがバレていなかったようなのだけど、その子の友達にはバレていたので相
談にのってくれていた。(その女友達はシブがき隊が好きだったのだがそれがまた時代を感
じる・・・)
そのうち遂にその子の誕生日だったかに告白したらしい。
(というのも告白したことは間違いないのだが直接言ったのか手紙だったのか覚えていない)
たぶんどこかに呼んで大したことの無いプレゼントと一緒に手紙でも渡したのではないかと思う。
(肝心なことなのにやっぱり曖昧・・・)
ちなみに後になって他にもプレゼントしたものがあって覚えているのだが・・・
それがなんと”手打ちうどん!?”しかしまあ何でそんなものを(笑)俺、アホだ(赤面)。
でもはっきりと覚えているのはその後、こともあろうに”ゆきちゃん”は日記に書いて担任の先
生に提出してしまう。確か当時毎日日記を書いて先生に提出することになっていたのだが、そ
れに書いたのである。
担任の先生(若い女性)からこっそりと○○君、XXXさんが日記に「○○君に告白されました」
って書いていたわよ、と言われて赤面・・・。まあこれがきっかけで担任の先生には恋の相談
にのってもらうことになるのだが。でも気になった僕はその日記をお願いしてコピーしてもらった。
ドキドキして見るとそこには「○○君に告白されました。とてもうれしかったです」といったような
ことが書いてあって嬉しかったかな。
それでもなぜか切なくなってしまうのが”好き”な感情で”恋愛”なのかも。
僕はそんなことを初めて知った。
その子のことはとても好きだったのだが、なにぶん小学生でそれ以上は何もなかったかな!?
中学校も同じでやはり同じバスケ部(これはたまたまで好きだったのとは関係無いが・・・)だ
ったのだが、中学生時代は恋をすることもなく部活と旅に明け暮れていたのである。次に好き
になるのは高校生になってからで、今でも口の悪い友達に「キミの恋愛はオリンピック並かそ
れ以上!→数年に一度程度)」と言われる通り、恋愛体質じゃないなあ・・・。
でも好きになるのに時間がかかるし、一つの恋愛が濃くて長いのでカッコつけていえば「彼女
が欲しいのではなくて、好きになった人を好きでいたい」だけなのかもね。
(参考)
この頃にキュンキュンとした曲
杏里・・・悲しみがとまらない
初恋なんぞを思い出してみた。
あまりに昔のことで出来事のかなりの部分を忘れてしまい・・・もちろん相手の名前や顔は覚
えているけど大昔の話・・・。思い出せるかな!?
そういえばこんな話は親しい人にもほとんどしたことが無いような・・・。
昭和5×年埼玉の片田舎でのんきに小学生をしていた僕。
カールルイスがロサンゼルスオリンピックで金メダルを取る前くらいのことだ。
たぶん小学校5年生くらいの頃で初恋の相手の名前は”ゆきちゃん”。
なんとなく女子が女子らしくなってきて意識してしまう頃で、学校でも初めて性教育が行われ
ていた。
後になって初恋であったことはわかったけど、最初そのモヤモヤが何かわからなくて悩んで
しまい困ってしまう。なぜならそんな感情を経験したことが無かったのだ。
勉強熱心!?だった僕はここでもその本領を発揮してしまう。
その感情を突き止めようと本を読んだりして、遂には本屋で講談社新書だったかの「性を考
える」という本を買い、店員のおばちゃんが「ずいぶんと難しい本を読むのねぇ・・・」と絶句
してしまった。周りには相談する男の友達もいなかったし。
で、その子はというと同じクラスだったのだが明るくて活発なかわいい子。
哀しいかな小学生ということもあって、好きなのに素直になれずちょっかいを出したり、いじめ
たりしてしまう。”ゆきちゃん”はよく三つ編みにしていたのだがそれを引っ張ってしまったり。
でもそのうちに周りにバレてしまい、からかわれてまた真剣に悩んでしまった。
本人には気持ちがバレていなかったようなのだけど、その子の友達にはバレていたので相
談にのってくれていた。(その女友達はシブがき隊が好きだったのだがそれがまた時代を感
じる・・・)
そのうち遂にその子の誕生日だったかに告白したらしい。
(というのも告白したことは間違いないのだが直接言ったのか手紙だったのか覚えていない)
たぶんどこかに呼んで大したことの無いプレゼントと一緒に手紙でも渡したのではないかと思う。
(肝心なことなのにやっぱり曖昧・・・)
ちなみに後になって他にもプレゼントしたものがあって覚えているのだが・・・
それがなんと”手打ちうどん!?”しかしまあ何でそんなものを(笑)俺、アホだ(赤面)。
でもはっきりと覚えているのはその後、こともあろうに”ゆきちゃん”は日記に書いて担任の先
生に提出してしまう。確か当時毎日日記を書いて先生に提出することになっていたのだが、そ
れに書いたのである。
担任の先生(若い女性)からこっそりと○○君、XXXさんが日記に「○○君に告白されました」
って書いていたわよ、と言われて赤面・・・。まあこれがきっかけで担任の先生には恋の相談
にのってもらうことになるのだが。でも気になった僕はその日記をお願いしてコピーしてもらった。
ドキドキして見るとそこには「○○君に告白されました。とてもうれしかったです」といったような
ことが書いてあって嬉しかったかな。
それでもなぜか切なくなってしまうのが”好き”な感情で”恋愛”なのかも。
僕はそんなことを初めて知った。
その子のことはとても好きだったのだが、なにぶん小学生でそれ以上は何もなかったかな!?
中学校も同じでやはり同じバスケ部(これはたまたまで好きだったのとは関係無いが・・・)だ
ったのだが、中学生時代は恋をすることもなく部活と旅に明け暮れていたのである。次に好き
になるのは高校生になってからで、今でも口の悪い友達に「キミの恋愛はオリンピック並かそ
れ以上!→数年に一度程度)」と言われる通り、恋愛体質じゃないなあ・・・。
でも好きになるのに時間がかかるし、一つの恋愛が濃くて長いのでカッコつけていえば「彼女
が欲しいのではなくて、好きになった人を好きでいたい」だけなのかもね。
(参考)
この頃にキュンキュンとした曲
杏里・・・悲しみがとまらない
平成22年2月22日 日並びきっぷ [回想]
昨日は平成22年2月22日という日並びの日でした。
そこで何か記念のものを・・・ということで地元の駅できっぷを買ってみました。
東急などでは記念きっぷが大人気だったようですが、私が夜遅く買いにいった時も地元民
と思われる方々が窓口に少し並んで買っていてなかなかの人気だったようです。
最近はICカードの普及できっぷを買う機会自体が減ってしまいましたが、地元の秩父鉄道
では昔懐かしい硬券という厚紙でできたきっぷが健在です。しかも最近は自動券売機発売
のきっぷもJR以外は平成などのような元号でなく、西暦表示が増えてきました。
私が小さい頃は駅できっぷを買うといえば近距離でも窓口に並び、駅員さんに行き先を告げ
てきっぷを買っていました。改札口にも駅員さんがいて改札挟というパンチできっぷに鋏を入
れていたものです。今では全て機械になってしまいましたが。
こちらはちょうど20年前の平成2年2月22日のきっぷ。私は明治大学の入試を受けていま
した。そんなこともあって京王電鉄明大前駅のきっぷが残っています。
この当時でもまだ自動改札機がそれほど普及しておらず、都内の駅でもイベントなどがある
とこういったきっぷを手売りしていました。
この頃のドラマというと今井美樹、石田純一主演の「想い出にかわるまで」、NHKの大河ド
ラマでは「翔ぶが如く」が。吉川晃司と元BOØWYのギタリスト・布袋寅泰の2人が結成した
COMPLEXではその名も「1990」というシングルを発売しました。大阪で花博が行われた
のはこの年で、ロシアはまだソ連だった時代です。
高校時代には面白半分で平成元年11月11日まで有効の通学定期券も買っています。
たまたま期間を少し調整すれば買えたので、難なく買うことはできました。
一応それなりに悩みを抱える思春期という時期だったはずですが、体力だけは今とは桁違
い。ちょうどこの定期券の期限となる秋には競歩大会という名のマラソン大会が毎年あり、
体育の時間と言えば首から1キロ毎にハンコを押してもらうカードをぶら下げて2時間ぐるぐ
ると走り、本番では荒川の土手を35キロ走ったものです。
20年前は最後の大学入試が終わって、安堵と不安が同居していた時期でしたがその当時
は20年後の自分なんて想像もできませんでした。その時思っていた大人になったか・・・今
となってはそこまではわかりませんし、きっぷもそこまでは語ってくれません。
そこで何か記念のものを・・・ということで地元の駅できっぷを買ってみました。
東急などでは記念きっぷが大人気だったようですが、私が夜遅く買いにいった時も地元民
と思われる方々が窓口に少し並んで買っていてなかなかの人気だったようです。
最近はICカードの普及できっぷを買う機会自体が減ってしまいましたが、地元の秩父鉄道
では昔懐かしい硬券という厚紙でできたきっぷが健在です。しかも最近は自動券売機発売
のきっぷもJR以外は平成などのような元号でなく、西暦表示が増えてきました。
私が小さい頃は駅できっぷを買うといえば近距離でも窓口に並び、駅員さんに行き先を告げ
てきっぷを買っていました。改札口にも駅員さんがいて改札挟というパンチできっぷに鋏を入
れていたものです。今では全て機械になってしまいましたが。
こちらはちょうど20年前の平成2年2月22日のきっぷ。私は明治大学の入試を受けていま
した。そんなこともあって京王電鉄明大前駅のきっぷが残っています。
この当時でもまだ自動改札機がそれほど普及しておらず、都内の駅でもイベントなどがある
とこういったきっぷを手売りしていました。
この頃のドラマというと今井美樹、石田純一主演の「想い出にかわるまで」、NHKの大河ド
ラマでは「翔ぶが如く」が。吉川晃司と元BOØWYのギタリスト・布袋寅泰の2人が結成した
COMPLEXではその名も「1990」というシングルを発売しました。大阪で花博が行われた
のはこの年で、ロシアはまだソ連だった時代です。
高校時代には面白半分で平成元年11月11日まで有効の通学定期券も買っています。
たまたま期間を少し調整すれば買えたので、難なく買うことはできました。
一応それなりに悩みを抱える思春期という時期だったはずですが、体力だけは今とは桁違
い。ちょうどこの定期券の期限となる秋には競歩大会という名のマラソン大会が毎年あり、
体育の時間と言えば首から1キロ毎にハンコを押してもらうカードをぶら下げて2時間ぐるぐ
ると走り、本番では荒川の土手を35キロ走ったものです。
20年前は最後の大学入試が終わって、安堵と不安が同居していた時期でしたがその当時
は20年後の自分なんて想像もできませんでした。その時思っていた大人になったか・・・今
となってはそこまではわかりませんし、きっぷもそこまでは語ってくれません。
手紙 [回想]
もう20年近く前になりますが、高校を卒業した頃文通をしていたことがあります。
(ちょいと恥ずかしいですね・・・)
文通相手は卒業した時に同じクラスだった女の子でした。
はっきり覚えていませんが、たぶんクラスで行った卒業旅行(担任の先生も含めて
鬼怒川温泉に宴会旅行!?)の写真を送ってあげたのがきっかけだったと思います。
今ならケータイのメールになってしまうのでしょうが、当時はパソコンすら無い時代
なので電話や郵便くらいしか連絡手段がありませんでした。
電話といっても普通は家に1台しか無いので誰が出るか分かりません。友達の家に
電話するだけでも面倒なのに女の子の家に電話するのはとても緊張しました。
本人が出ることは少なく深呼吸をして電話をしてみると出るのはお父さん・・・
(ゲッお父さんだよ・・・怖いなあ。だいたいお母さんの方がまだ友好的)
「○○高校で同じクラスの○○と申しますが・・・○○さんはいらっしゃいますか?」
と緊張して言ってみたものの(一応関係者であることをアピール)
「○○は出かけてます!」
と言われてオシマイなんてこともしょっちゅうでした。
で、手紙ですが今の(電子)メールと違って直筆なので相手の字などで人柄や気持
ちが伝わったような気がします。特に女の子の場合はそうですね。
私は大学に進学し、彼女は浪人して大学を目指していましたがお互い大学生になっ
てしばらくの間手紙のやりとりが続いていました。自分は何を書いたか忘れましたが
彼女の方は彼氏がいたのでそのことや、その後別れてしまったこと、受験のことや
大学のことetc・・・だったような気がします。
元クラスメイトの友達としての文通でしたが、今思うとすごくピュアでいい子でした。
月1回くらいのやりとりでしたがポストを見るたび手紙来ていないかな~と楽しみにし
ていました。今は請求明細やDMくらいしか郵便は来ませんし(笑)、年賀状すら虚礼
廃止とかで年々少なくなりますが、手紙の良さが忘れられていくのは残念です。
(ちょいと恥ずかしいですね・・・)
文通相手は卒業した時に同じクラスだった女の子でした。
はっきり覚えていませんが、たぶんクラスで行った卒業旅行(担任の先生も含めて
鬼怒川温泉に宴会旅行!?)の写真を送ってあげたのがきっかけだったと思います。
今ならケータイのメールになってしまうのでしょうが、当時はパソコンすら無い時代
なので電話や郵便くらいしか連絡手段がありませんでした。
電話といっても普通は家に1台しか無いので誰が出るか分かりません。友達の家に
電話するだけでも面倒なのに女の子の家に電話するのはとても緊張しました。
本人が出ることは少なく深呼吸をして電話をしてみると出るのはお父さん・・・
(ゲッお父さんだよ・・・怖いなあ。だいたいお母さんの方がまだ友好的)
「○○高校で同じクラスの○○と申しますが・・・○○さんはいらっしゃいますか?」
と緊張して言ってみたものの(一応関係者であることをアピール)
「○○は出かけてます!」
と言われてオシマイなんてこともしょっちゅうでした。
で、手紙ですが今の(電子)メールと違って直筆なので相手の字などで人柄や気持
ちが伝わったような気がします。特に女の子の場合はそうですね。
私は大学に進学し、彼女は浪人して大学を目指していましたがお互い大学生になっ
てしばらくの間手紙のやりとりが続いていました。自分は何を書いたか忘れましたが
彼女の方は彼氏がいたのでそのことや、その後別れてしまったこと、受験のことや
大学のことetc・・・だったような気がします。
元クラスメイトの友達としての文通でしたが、今思うとすごくピュアでいい子でした。
月1回くらいのやりとりでしたがポストを見るたび手紙来ていないかな~と楽しみにし
ていました。今は請求明細やDMくらいしか郵便は来ませんし(笑)、年賀状すら虚礼
廃止とかで年々少なくなりますが、手紙の良さが忘れられていくのは残念です。
2008-09-15 18:36
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